muramasa
仕事ができる人とできない人の差が激しい。
入社時と比べて、今はベトナム人ばかりで後身が育たないので辞めた。
現場の上司も頼れる人が少なくなった。
現場の上司が事務にまわったら、全く現場をフォローしなくなりこのまま現場で夜勤をやることに将来の不安を感じた。
→
「能力の差が大きいです。
最近は後継者が育たず、周囲は主にベトナム人のため退職を決断しました。
上司のサポートも必要な方が減っており、現場で誰も夜勤をサポートしてくれなければ、将来に不安を感じます。
」
高木デルタ化工 株式会社は、広島県広島市の製造業に関するページです。代表者は高木 聰毅、従業員数は26人です。利用者による評価は5点満点中3.3点(8件)です。
仕事ができる人とできない人の差が激しい。
入社時と比べて、今はベトナム人ばかりで後身が育たないので辞めた。
現場の上司も頼れる人が少なくなった。
現場の上司が事務にまわったら、全く現場をフォローしなくなりこのまま現場で夜勤をやることに将来の不安を感じた。
→
「能力の差が大きいです。
最近は後継者が育たず、周囲は主にベトナム人のため退職を決断しました。
上司のサポートも必要な方が減っており、現場で誰も夜勤をサポートしてくれなければ、将来に不安を感じます。
」
人間関係は自分が入った時から、事務所の上司が自分達の事をしっかり見守ってくれてすぐに相談にのってくれた。
仕事もプライベートも現場の上司と自分達の間に入ってくれて先輩らとカラオケやボウリングなど連れられとてもお世話になった。
その人が辞めてから、事務所の他の上司と現場でこちらの悩みを話してもスルーされて相談しなくなった。
新しい方が来てから、以前のような信頼関係やサポートが得られず、少し孤独な気持ちになってしまいました。
特に悩んだ時に前述の上司のように相談できる存在が必要だと痛感した出来事でした。
入社数年昇給し、その後は残業手当のみで5.6年変わらなかった。
有休も途中から全員勝手に大型連休に組み込まれるようになりましたが、日給月給なので基本給がわからず、いくら有給がついているのか分かりませんでした。
ボーナスと春の賞与もありましたが、春の賞与は毎年無くす話が続いていました。
ボーナスは現場では一回20~35あれば十分だとされています。
入社してから現場での残業は毎日30分未満にカットされていた。
それを認めるように署名させられたが、他の同級生と比較しても残業時間が多くても残業代が少なかった。
交通費に関してもバイクや車を利用しても支給額が下がり、定期券6ヶ月分を月割り支給と言われた。
社内の雰囲気は良かったが、まともな上司が不在になってから改善が見られず、結局辞めることにした。
先輩や同僚との人間関係は良好で、助け合いながら仕事を進めることができました。
自分で考えながら作業を行う姿勢や、生産量を意識して取り組む姿にやりがいを感じました。
車関係の作業は流れ作業や単純な作業が多いですが、やりがいを感じる場面もあります。
最初は厳しい先輩もいましたが、仕事を覚えるうちに仲良くなれました。
先輩達には恵まれてやりがいのある時間を過ごすことができた。
自分は力がついている事も感じることができた。
家族が増えて、夜間もあったので、
家庭がダメになると判断して退職した。
→ 先輩方に感謝しつつ、充実した時間を過ごすことができました。
仕事で力をつけられたことも嬉しいです。
しかし、家族との時間が減ってしまい、私は退職を決断しました。
仕事ができる人、出来ない人がはっきりしています。
教育精度が低く、海外の方が多かったです。
残業も当たり前で、体調を崩して休む人もいました。
理由をお選びください。内容を確認のうえ対応します。